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平成24年 明けましておめでとうございます。 [想い]

明けましておめでとうございます。[わーい(嬉しい顔)]

今年一年がみなさんにとって良い一年になりいますようお祈りいたします。

新年を迎えて私自身の今年の目標は『誠実に生きる』です。

人に対して、自分自身に対して誠実に生きていきたいと思います。



お正月、森信三先生『修身教授緑』を少し読み返してみました。

そこで教えていただけるは『人生二度なし』という真理

一年のスタートを、この真理を痛感して迎えたいと思います。


塾生のみなさんは「今後自分はいったい何年生きるのだろうか?」なんて言うことは
一度も考えてみたこともないかもしれませんね。

もちろんそれはごく当然のことかもしれません。

でも今受験勉強を頑張っている中3生のみなさんで人生の6分の1生きています。

順調に生きたとして残りの人生はあと6分の5です。(私はあといくらなんでしょう[あせあせ(飛び散る汗)]

今新年を迎え、自分の命の意味を考え、この二度とない人生を真に意義深く送ろうとするならば、みなさんの生活もおのずとその趣を異にすることと思います。



『人生二度なし』と同様に『今日という一日』も二度とありません。

毎日、『今日という一日』が訪れると思っているかもしれませんが、私たちみんな同様に『今日という一日』が訪れないない日がいつの日にか必ずやってきます。

修身教授録の中に「一日の意味」というお話しがあります。

その中にある森信三先生の言葉を紹介します。

「今さら事新しく申すまでもありませんが、今日という日は、一日に限られているのです。人間の一生もまた同様です。そこまでよほど早くからその覚悟をして、少しの時間もこれを生かす工夫をしていないと、最後になってあわて出すことになります。

ですから諸君らも、もしその日の予定がその日のうちに果たせなかったら、『自分の一生もまたかくの如し』と考えられるがよいでしょう。そこまでわれわれは死というものを、一生ただ一度だけのものと考えてはいけないと思うのです。それというのも実は死は小刻みに、日々刻々と、われわれに迫りつつあるからです。

ですからまた、夜寝るということは、つまり、日々人生の終わりを経験しつつあるわけです。一日に終わりがあるということは、実は日々「これでもか」と、死の覚悟が促されているわけです。しかれに凡人の悲しさには、お互いにそうとも気付かないで、一生をうかうかと過ごしておいて、さて人生の晩年に至って、いかに嘆き悲しんでみたところで、今さらどうしょうもないのです。

人間も五十をすぎてから、自分の余生の送り方について迷っているようでは、悲惨というてもまだ足りません。そこで一生を真に充実して生きる道は、結局今日という一日を、真に充実して生きる外ないでしょう。実際一日が一生の縮図です。われわれに一日という日が与えられ、そこに昼夜があるということは、二度と繰り返すことのないこの人生の流れの中にある私達を哀れんで、神がその縮図を。誰にでもよくわかるように、しめされつつあるものとも言えましょう。

そこで、では一日を真に充実して生きるにはどうしたらよいかが問題でしょう。その秘訣としては私は、その日になすべきことは、決してこれを明日に延ばさないことだと思うのです。・・・・・」

このことを、新年を迎えるにあたって、自戒の念を込めてみなさんと共に考えることができたら嬉しいです。

朝、目が覚めて、お日様の光を浴び、生かされていることを感じる幸せ。

本当は毎日が、明けましておめでとうございます。なんですね[わーい(嬉しい顔)]


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